次に労使関係について少し話をしたいと思います。「ユニオン」、「労働組合」と来ればその相方というか対局は「会社」。いわゆる「労使」ですね。「労使協調」とよく言います。安全衛生に対する取り組みでは「労使の垣根はない」とも言います。極論かも知れませんが、もともと「協調」していないから敢えて「労使協調」と言い、もともと垣根があるから「せめて安全ぐらいは垣根なしで行こうよ」と言い、対等でないから法律によって対等にしている。これがこれまでの労使の関係だと思います。もちろん歴史的にはこれが正しかった時期もありますし、現在でもこうした考え方が時と場合によって必要であることは否定しません。しかし、これからは、「労使共生」という考え方にもとづくべきであると私は考えています。「賃上げ」や「時短」といった経済闘争の根拠も希薄となり、従業員に投資をするという考え方なしでは優秀な人財も寄りつかなくなります。「階級闘争」という言葉の意味を私はよく知りませんが、上から順に「経営者」、「管理職」、「組合員」というピラミッドな関係を前提に考えることもすでに終わっていると思います。これからは、社会という円の中にある会社という円の中に、「経営者」、「管理職」、「組合員」のそれぞれの円が浮かぶという、純円の関係。これがこれからの労使関係のイメージだと思います。ただ、そうは言っても、いざという時は、その立場と利害で対立することもあるでしょう。その時はその時で、お互いの立場を尊重し真摯に話し合えばよいのではないでしょうか。繰り返しになりますが、対立を前提とした関係は、55年体制の自民党と社会党の関係のようであり、すでに意味をなくしています。これまでの慣行や前例に執着せずに、タブーなしで考えていくことが大切です。世間ではどちらかというと組合側よりも会社側の方に前例主義にこだわる硬直性が見受けられるようです。これは「管理する」という立場にとらわれたリスクや責任回避の意識から来るものだと思いますが、所詮同じ企業内の運命共同体、もっと「信頼」をベースに考えるべきであると思います。
|